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「祝祭」~儒教は宗教か?

伊丹十三の「お葬式」を思い出させる映画だと思って見ていたが、監督がイム・グォンテクということで、興味があった。彼の作品は「春香伝」しか見ていないが。主演のアン・ソンギは自ら申し出てこの役を演じたとか。

ストーリーの展開は非常に上手く出来ていて、飽きさせない。老齢の母親の死による葬式と、それに集まった親族や友人、村人等のドタバタがあるのは予想通り。それに加え、小説家である主人公が初めて書いた、年取った母親と自分、娘の関係を理想化したような童話を絡めて話は進んで行く。

葬式に参列するため集まった友人たちが釣りをしているときに言った言葉。「儒教は現実的な宗教だ。宗教というより生活の戒律であり学問だよ」

韓国の人々の生活に儒教の教えが深く根付いていることはよく耳にする。しかし映画であれドラマであれ、その中の一人がここまではっきりと「儒教」について発言するのを見るのは初めてだった。

「1%の奇跡」を見ていて、登場人物の言動が儒教を知らなければ理解できないのではないか、と思わせられる場面がいくつかあった。このドラマを契機として、よく知らなかった儒教をもっと知ってみようと思い立った。儒教に関して今読んでいるのは加地伸行著の「儒教とは何か」(中公新書)だが、その中で著者が言っていることを端的に語ったのが上記の言葉だ。

上の登場人物は続けて言う。「そこでは死んだ祖先が唯一の神となる。生前の孝行は戒律だが、死後の孝は宗教的な概念となる。孝とはそれほど厳粛なものなんだ。だから儒教は宗教になりうる。」「じゃあ、葬式は戒律と宗教が出会う場所か?」「昔は3年間親の墓を守って葬儀が終わった。つまり現世において尊敬の対象となる人物を信仰の対象とするわけだ。祭祀は宗教的な孝行の表れで、中でも葬儀はもっとも大切なものなんだ」

儒教とは厳しい倫理道徳とそれに伴う礼儀作法で、その中心は「孝」であり、「忠」であると一般に考えられているが、加地はそれは誤りであると断言する。儒教は宗教である、と。

人はいつ宗教を必要とするのか?それは最も不安になるとき、つまり死に臨んだときである、と加地は言う。人は死後の世界を知らない。その未知の世界を説き、安心させてくれるものが宗教である。儒教はその意味で宗教である。

孝を行うことによって、子孫を生み、祖先・祖霊を再生せしめ、自己もまたいつの日か死を迎えるのではあるけれども、子孫・一族の祭祀によってこの世に再生することが可能となる。

その結果、ここに一つの転換が起こる。自己の生命とは、実は父の生命であり、祖父の生命であり、さらに、実は遠くの祖先の生命ということになり、家系をずっと遡ることができることになる。

生命論ーーこれが孝の本質である。儒は、招魂儀礼という古今東西に存在する呪術を生命論に構成し、死の恐怖や不安を解消する説明を行うことに成功した。

生命の連続のために「孝」があり、その「孝」の表れのひとつが葬礼であるとするなら、前述の登場人物の言葉が理解できる。

by 1-100miracle | 2008-05-02 00:20 | 映画  

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